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コラム

「塚越仁志という男」<前編>

 未来のチャンピオンを育てる、そして老若男女がスポーツとしてのK-1に触れる場所=K-1ジム。週替わりで各ジムの今をお届け! 今回はK-1ジム・シルバーウルフの大野憲が登場! Krush-67kg王者・塚越仁志の入門当初の秘話を明かします!
アマチュア時代の塚越は左右田泰臣 山崎陽一 昨年引退した戸邊隆馬らも同じくプロを目指していた時期で、全員で切磋琢磨していました。また2006年はK-1MAX全盛期で、魔裟斗さんも現役バリバリだったため、魔裟斗さんと同じ空間で練習しているというだけで、精神・肉体面で各々レベルアップしていった時期だと思います。

当時、印象的だったのが夏場の室温30度の中のスパーリングやミット打ちを続けていると、汗が滝のように流れ落ち、サンドバックの下に汗の水たまりができていたことです。

塚越を含めシルバーウルフの選手たちは熱中症にならないよう、インターバル中に水を頭からかけあいながらなんとか練習にしがみついていました。

そんな過酷な練習状況でしたが、魔裟斗さんが無言で黙々と練習をこなしている姿を目の当たりにしたら誰も弱気な言葉を放つものはいません。そして練習生たちは厳しいふるいにかけられ、そのほとんどが脱落していきました。

そして練習はジムの外でも続きました。毎週土曜日になるとタイ人トレーナーのヌアトラニーが小岩にあったガウガウスタジアムに選手たちをよく連れて行っていたのです。

ガウガウスタジアムはムエタイを観戦できるレストランで、店の中には3メートル四方のリングがあり、リングを囲むお客さんが食事をしながらムエタイの試合をするというシステムでした。

ヌアトラニーに連れてってもらった選手たちは……もちろんお客さんではなく、試合をする選手側で、体重差も実力差も一切関係ないガウガウスタジアムで試合を続けていたのです。

アマチュアの試合に出るわけではないのですが、彼らにとってガウガウスタジアムでの日々は選手経験としては貴重な時間だったと思います。

塚越をはじめ、左右田、山崎、戸邊はそういった厳しい練習で生き残ってプロになった男たちなのです。そして迎えたプロデビュー戦。塚越と山崎は同じ2008年12月13日にデビューし、2人共勝利を収めました。

ちなみに12月13日は塚越の誕生日。ある意味、彼は“持っている男”だったのかもしれません。

<後編>へ続く。
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